ツイッターが無くなってしまった寂しさ
最初に実感したのは、TwilogとかTogetterなどの外部アプリが突如としてAPI連携できなくなり、サービス停止になってしまったことだった。API連携は負荷が高いらしく、かなり高額なプランを契約しないと使えないらしい。結局、TwilogはTogetterの運営に売却されてその一部としてサービス継続となったのだが象徴的なエピソードの1つといえる。そうはならなかった、リツイートした1個後をみるやつとか、全消しくんみたいなやつは使えなくなってしまったようだった。
アイコンが見慣れた青の鳥から、ダークヒーローっぽいXのアイコンになった。
ファビコン(サイトのロゴ画像)が置き換わってから、いつの間にか同じタブをいっぱい開くようになってしまって、思った以上にこのアイコンは視認性があって分かりよかったのだなと思うと同時に、各種シェアボタンからも消えてしまっていくと思うと寂しい気持ちになった。
また、ツイートする、リツイートする といった今ではすっかりお馴染みになった用語も、ポストする、リポストすると置き換えられてしまった。そこまでするのかという驚きもあったが、理由は説明できないがこれには強烈な寂しさを感じた。
私とツイッター
思えば、ツイッターは私が高校2年あたりからずっと使っていたサービスで、どうも私の性に合うらしくほぼ毎日ツイートを垂れ流していた。そう考えると15年弱(一応ぼかす)使っているわけで笑ってしまう。ツイッター中毒なのは間違いない。
アカウントを作ったのは、IT系な人たちが使っていて誘われていた。でも、本当に作ったきっかけはクラスメートが作ったのでやろうよと声かけてくれたことだった気がする。
フォロー数が増えると全部読めないなんて思ったこともあった。今ではすっかりアルゴリズムが選定したツイートを読むのが基本になっている。本当にフォローしたい人は通知機能を使ってウオッチしている。
クライアントはいつの間にか公式以外は利用できなくなっていたが、スマホはTwicca、パソコンは青と黄色のTweetDeckという感じだったので、あまりそこに愛着じみたものは無かった。
基本的にフォローするのはクラスメートとかではなくて、IT勉強会を実況する人とかイベントを開催する人をフォローしたりが多かった気がする。そのおかげで、また開催されるイベントを知るきっかけになり、自分も実況したりしていた。また、知らない人にメンションすることにあまり躊躇がなかったので思ったことがあったらフォロー外でもメンションさせてもらったりした。アニメ実況も盛んだったような気がするが、自分は録画だったのでそちらは使ったことがない。
ツイッターで仲良くなった人がいるかというとちょっと覚えがない。オフ会も参加したことがない。ただ、上述のようにフォローしているとイベントでお会いするというのは非常によくあって、何回か同じイベントに参加し懇親会に参加すると顔見知りという関係にはよくなっていた。そのような意味ではオフ会をしているのかもしれない。
私がフォローする人は年上の方が多かった。そのせいもあってか、ここ3年ぐらいはアクティブな人が結構減った印象がある。みんな結婚したり子供ができたりとライフステージの影響が多い気がする。自分自身もツイート頻度は下がっている気がする。
Twitter Japanが解体されたことで、サジェストの内容ががらりと変わったことは中々に衝撃的だった。アルゴリズムベースではあるが、そのウェイトについてはかなり介入があったということである。そのセンスがあまりに残念で人々を無駄に分断したり誤解を与えたりしたようだ。理解はしていたつもりだが、メディアのパワーを再実感したし、自分の考えに大きな影響を与えてることも再実感した。
ともかくとして、間違いなくツイッターは私の寂しいを補ってくれてたと思う。反応があるわけでもないが、誰かが聞いてくれるという実感があった。壁に話しているのとそう変わらないはずなのだが面白いものである。そして、寂しさを感じないで済んだ代償に婚期を逃した説は相当にある。(といいつつ、これを書いているタイミングではパートナーがいる)
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